ぼくは結婚を前提に同棲していた彼女と別れた経験があります。
“大好きだったのに”です。
最後は話し合いをして別れることになりました。
そんなことがあるのか…と自分でも疑いたくなるほどです。
別れた理由を一言で言うと、
「ぼくが将来への不安に押し潰されて結婚に踏み切ることができなかった」
です。
当時はその不安との向き合い方が分からず潰れ、別れという選択をしてしまいましたが、最近心理学を学ぶ中で「あ〜、こういう風に考えれば良かったのかな」というものが見つかったので、本記事でまとめていこうと思います。
これは何も結婚に限らず、将来への不安、もっと言うと不安全般に対しての向き合い方の処方箋だと思います。
本記事の目的、半分は自分の頭の整理用。
もう半分は、「今まさに同じような境遇にいて苦しんでいる方」がいれば何かの参考になるんじゃないかなと思ったので、その方に向けて書こうと思います。
目次
将来への不安は一切ない状態じゃないとダメ!
同棲をしていた当時、将来のことを考えると、確かにワクワクキラキラした未来も見えました。
が、同時に不安もありました。
この不安があることが、ぼくにとっては異物だったんです。
なので将来への不安が一切ない状態になろうとしていました。
当時の心の中はこんな感じ↓
一生を共にする決断をしようとしているのに、心の中に「不安」あるやん。
え、ダメじゃない?この大事な時にそんなの。
不安なんて一切無い状態じゃなきゃダメでしょ。
本当に?
本当に、「不安なんて一切無い状態じゃなきゃダメ」なんでしょうか?
精神相互作用(いきなり専門用語スマン)
ほんと、いきなり専門用語スマンって感じなんですけど、精神相互作用というものがありましてですね…(ぼくも今回知った)
精神相互作用とは、「鎮めようとすればするほどその対象が気になって結果的に悪化する」というものです。
例えば過呼吸なんかもそう。
一瞬「なんか息苦しいかも?」と思っちゃって、その後に「いやいや、息苦しくないよ。気にしない気にしない」と思っても、そう思えば思うほどどんどん自分の呼吸に意識が向いていって、結果的にめちゃくちゃ息苦しくなる。
という感じです。
ガキ使の『笑ってはいけない』なんかもこれを利用していますね。
笑ってはいけない状況で、「面白くない面白くない」と思えば思うほど、なんか面白くなっちゃって笑ってしまう。
みたいな。
こういうものを精神相互作用と言います。
「囚われ」と表現されたりもします。
これは完璧主義の傾向が強い人ほど陥りやすいそうです。
ぼくの囚われ例
ぼくが日々の生活を送る中で「囚われている」と感じた例を挙げますね。
過呼吸
過呼吸は何度か経験があります。
それこそ当時同棲していた彼女との別れがチラつき始めた時、別れのことを考えると胸の辺りがギュッと苦しくなって、その瞬間に呼吸に注目がいくんですよね。
「あ、ちょっと息苦しいかも」って。
次の瞬間には「いやいや苦しくない」と考えて自分を落ち着かせようとするんですが、時すでに遅しです。
どんどん呼吸が荒くなって、手足が痺れ始め、冷たくなり、頭の血の気も引いてきて視界が真っ白な感じ。
完全に囚われ、精神相互作用の例だと思います。
心臓チクチク
小学生くらいの頃。胸の辺りがチクッと痛むことがありました。
何もしていないのに、です。
そういったことが何度かありました。
場所が場所だけに、何か重い病気なんじゃないかと考えるようになりました。
何もしていない時にチクッ。息を吸った時にチクッ。
短時間に何回もチクッ、チクッ、となった時はテレビドラマで見たような心臓発作のシーンが頭をよぎり、この後自分も胸を押さえて倒れるんじゃないかと想像してしまいました。
もちろんこの「心臓チクッ」に関しては実際に症状が悪くなっていった事実はありませんが、囚われ始めていた例かなと思います。
目上の人にビクビク
精神相互作用(囚われ)は自分自身に対してだけでなく、自分と他人に対しても当てはまるそうです。
例えば…
ぼくはカメラマンをしていた時期があるんですが、ある現場で先輩カメラマンに怒られました。
怒られた経緯は以下のような感じです。
現場にはその先輩カメラマンとぼくとディレクターの3人。
新商品の物撮りで、ぼくは1人で撮影、隣で先輩も撮影をしていてディレクターはそちらに付いていました。
しばらくして先輩がこちらの様子を見にきました。
するとぼくの撮影したものが全然ダメだったらしく、先輩に怒られ、ディレクターからも一緒になってダメ出しをされました。
本来であればそこで切り替えて再度撮影に臨めばいいのですが、そうはなりませんでした。
撮影を再開しても、
(これで大丈夫かな…)(これで合ってるかな…)(またダメ出しされるかな…)
こんな感じでぼくの意識は商品ではなく先輩やディレクターに向いていました。
こうなると萎縮してしまって本来のパフォーマンスどころじゃありません。
完全に「囚われ」の例です。
その他 軽い「囚われ」
その他にも軽い「囚われ」として…
最近始めた釣りに関して、
- 周りの釣り人はぼくのフォームを変と思っていないだろうか?
- 間違ったルアーのチョイスをしていると思われていないだろうか?
とか。
クライミングに関して、
- 重要な一手を出すときに、(大事な一手、大事な一手)と思えば思うほど変に力が入ってしまってめちゃくちゃ狙いを外す。
とか。
ぼくが完璧主義になった理由
「囚われ」は完璧主義傾向の強い人が陥りやすいと先述しましたが、ぼくはどのようにして完璧主義になったのでしょうか。
なんでもできる優等生タイプ
完璧主義になった理由でひとつ思い当たる節として、「優等生タイプの自分」があります。
ぼくは小さい頃からなんでもそつなくこなせました。
- 成績優秀、スポーツ万能。
- 科目別に見ても、どれも平均的かそれ以上。
- ただ、ものすごく高いレベルのものはない。
小学生の頃は1週間の予定も習い事で埋まっていました。(習字、塾、水泳、体操、英会話、ボーイスカウトなど)
それが完璧主義に繋がった大きな要因の一つだと思います。
なんでもできる自分、優等生の自分には「失敗は許されない」「人に嫌われるのもある意味失敗」「先生や親に怒られないようにしないと」というような思考があったように思います。
その結果、完璧主義が形成された。
そしてさらに言うと、人の顔色を伺うようになり、自分の意見を言えなくなってしまったのだと思います。
ただ、一方で「もっと叱ってほしい」「雑に扱ってほしい」という思いもありました。
過保護に丁寧に扱われているから大人しくしとかなきゃいけない。それが窮屈でした。
当時の友達に、「アンタはほんまアホやなぁ〜」みたいに母親から”雑に?”扱われてた子がいたんですが、その子が羨ましかったです。些細なことでも親子で言い合いをしている感じでした。
完璧な存在じゃないと辻褄が合わない
そういう親子関係に憧れを持ちつつも、ぼくはさらに完璧主義を強化していきます。
覚えているのは、なんでもできる自分は”高貴な存在”だと思っていました。
だから親や先生はぼくのことをキツく叱らないんだ、と。
そして”高貴な存在”だから「失敗は許されない」し、「弱みも見せない」「みんなから好かれなきゃいけない」「完璧じゃなきゃいけないんだ」という価値観を強化していくことになります。
そうじゃないと辻褄が合わなくてやっていけなかったんだと思います。
こうして形成された完璧主義が「少しの違和感も許せない」「完璧な状態じゃなきゃダメ」という思考を引き起こし、結果的に「囚われ」につながってしまいました。
ではこの「囚われ」はどうすれば抜けられるのでしょうか?
【完璧主義が形成した性格】
少し番外編ですが、この完璧主義は”とあるぼくの性格”の形成にも繋がっています。
「完璧な存在じゃなきゃ」という価値観を強化していっているけど、本心じゃ自分は完璧じゃないとわかっていました。
だから「もっと雑に扱ってほしい」と思っていたんですね。
が、言えなかった。
周りからは完璧な存在として見られているし、自分でもそう思ってる(思おうとしている)。
けど、本当の自分は怠ける時もあるし全然完璧じゃない。
けどけど、周りが完璧な存在として見ているからそういう自分じゃなきゃ…
ここまでくると周りの期待に合わせて自分を繕ってる感じです。
完璧主義がゆえに弱みを見せられず取り繕っていました。
そうやって周りに合わせていると、どんどん本当の自分の意見を言えなくなりました。
そして“長いものに巻かれる”という性格が形成されました。
この状態だと自分に「自信」が無いので、「不安」を作り出す原因にもなっています。
この辺りについては下記記事でさらに詳しく書いていますので気になる方はどうぞ。
「囚われ」を切り抜ける方法
ここまででぼくに完璧主義な部分があって、それが原因で「囚われ」に陥ることがわかりましたが、この「囚われ」はどうすれば切り抜けられるのでしょうか。
まず自分の中に「完璧主義」があるんだと気付く。
「囚われ」を切り抜けるために、まずは自分の中に「完璧主義」という価値観があることに気付くことが大事だそうです。
そして、「自分が完璧主義になった原因」を探って見つかれば尚いいです。
その方が「あぁ、こういう理由があるから自分は完璧主義なんだなぁ」と納得感を持てますし、確信度も高まります。
「囚われ」の原因は「完璧主義」にあるんだ!そしてその「完璧主義」の原因は「〇〇」なんだ!と、どんどん根本原因が見えてきて、その結果「完璧じゃなくても全然OKじゃん」と思いやすくなります。
「完璧主義」を緩める
自分の中に「完璧主義」があることに気付いたら、次はそれを緩めていきます。
完全に取り除こうとしなくても大丈夫です。
ぼくの場合だと、「”失敗は許されない(完璧主義)”とは絶対思わないようにする!(取り除く)」みたいにしなくてもいいということ。
「”失敗は許されない”と思う時があってもいい」くらいに緩める感じです。
この「囚われ(精神相互作用)」を提唱した精神科医の森田正馬(まさたけ)は、「死の恐怖を取り除こうとあらゆる努力をしたが、それは不可能だ」という結論に至っているそうです。
確かにそうですよね?
“死”のことを思うと、不安だし恐怖を感じますよね?それは当然です。
「完璧主義」を完全に取り除こうとするのは、「”死”のことを考えても、不安や恐怖を感じないようにする!」と言っているのと同じなんです。
みんな”死”は怖いけど、人は絶対死ぬものだと受け入れて、普段はその恐怖を緩めて生きてますよね。
それと同じで排除するのではなく、緩めて、あるがまま受け入れていく。
「”死”のことを考えると、不安や恐怖を感じるよね」
「”失敗は許されない”と思う時もあるよね」
って感じです。
ちなみにこういった”失敗は許されない”などの価値観は、「これまでの環境で、ある意味必要があって身についた価値観だから急には変えられない」ということも念頭に置いておくと良いそう。
ぼくの完璧主義に関しても「そうでもしなきゃ辻褄が合わなくてやっていられなかった」と先述したように、生きるために必要だったんですよね。
それでも囚われそうになったら
そうやって緩めることを意識していても、悩みや不安に注意が向いていってしまう時があるかもしれません。
そんな時はその気持ちを受け入れた上で、その気持ちに意識を向けるのではなく、他のことに意識を向けて取り組んでいくと良いみたいです。
取り組みはなんでもよく、
- 心が落ち着くこと
- やるべきこと
- 目の前にある特定のモノに視線を持っていって意識する
とかでも良いそう。
あとは開き直って必要なことに踏み出すことも大事とのことです。
確かに、著書『チーズはどこへ消えた?』でも「恐怖は未知のものに対して膨らむもの」と書かれていますもんね。
そしてその未知の領域にエイヤッと踏み出してみると、そこには案外何もなく、恐怖は自分で作り出したものだった…というオチが往々にしてある。とも書かれています。
つまり恐怖を感じている状態とは「過去」や「未来」に囚われて、「今、ここ」に心あらずの状態です。
だから逆に「今、ここ」に集中すれば、「過去」や「未来」を考えないことになり、必然的に恐怖が和らぐということになります。
当時思っていた結婚に対する不安
ぼくが当時結婚に対して抱えていた不安はこんな感じです。
- お金の心配。
- 親になれるのか?
- 子供を育てられるのか?
- 養っていけるのか?
- 家族を守っていけるのか?
これらが全てOKにならないと結婚できないと感じていました。
でも”全てOK”とは例えば、目的地までの信号が全て青になる瞬間を待ってから出発するようなもの。
そんなのありえないですよね?
途中で赤信号に引っかかりながらも進んで行くものです。
実際に、今「親をやっている人」もいきなり親になれたわけではないみたいです。
それこそ徐々になっていくもので、子供の成長とともに親も親としての成長をしていくわけです。
以前「さよならプロポーズ」という恋愛リアリティショーで、芸人のさや香 新山さんがこんなことを言っていました。
『たまに「え、家に子供おるやん」ってなる時がある。』
と。
結婚して子供ができて数年経つけど、いまだに親になったことを信じられない瞬間があるほど、まだまだ親として成長している最中ということでしょう。
最後にここまでをおさらい
最後にここまでのことをおさらいすると…
- まずは自分のありのままの状態を認めてあげる。
- 認めてあげたらその上で、イマココに集中する。
という感じですね!
そして、
- 「イマココ」というのは、心や体で感じている感覚。
- 「過去や未来への恐怖」というのは、頭で考えちゃってる幻想。
これをしっかり覚えておきたいですね!
イマココに集中するというのは、自分自身の感覚をあるがまま感じて味わうことなのでとても癒される行為です。
だって自分に正直に生きているということだから。
それはつまり自分を愛するということ。
そこに集中していればいつの間にか恐怖は和らいでいます。
ちなみに恐怖をうまく使うこともできます。
「恐怖と欲望は表裏一体ということを意識する」ということ。そうすると捉え方が変わってきます。
“未来に対して恐怖があるというのは、輝かしい未来を期待しているから”
だから、恐怖に目を向けるのではなく、輝かしい未来にするためにはどうすればいいのか?ということを考えるようにします。
そしてイマココではそこに集中してリソースを割けばいいということになります。
とはいえ「具体的にイマココの何に集中すればいいのか分からない」となったかもしれません。
そこで下記記事にイマココの何に集中すればいいのか?をより詳しく書きました!
まとめ
過去のぼくは完璧主義が囚われを生み、どんどん不安の深みにハマって潰されてしまいました。
今回学んだことで「不安があっても大丈夫」と思うことができました。
この感覚を大事にしていれば完璧主義も緩み、イマココに集中することができます。